【ゲーム業界1】就職に大学名は影響する?

新卒で入社後、転職を経て、ゲーム業界に30年以上勤務。人気タイトルをはじめ、さまざまな形でゲームに関わってきたHさんに、匿名を条件にゲーム業界をめざす人に向けてお話を伺いました(全3回の第1回)。

「ゲーム好き」を理解してくれた親

–ゲーム業界で働きたいと考えるようになったのはいつ頃でしたか?

今、思い返すと、中学時代にはもうゲーム業界を意識していました。ただ、今のようにゲーム業界が人気になる、もっと前の時代です。

ファミコンが発売されたのが、僕が小学校高学年の頃。当時はお金持ちの友達しか持っていなかったから、その家に遊びに行ってやらせてもらっていましたね(笑)。

その後、中学の時にファミコン、高校生になってからはMSX(1983年に発売された安価な家庭用パソコンの総称)を買ってもらったんです。当時人気のパソコンはNEC(日本電気)製でしたが、現在のようにネットにつながっているわけでもないのに1台何十万円もするものも多く、パソコン自体、高校生で持っている人も少なかったと思います。

あの頃はゲームセンターが不良の溜まり場のイメージだったり、ドラクエ3発売当日の混乱が報道されたり、とにかくゲームはいいイメージを持たれていませんでした。だから、自社の面接で学生が「親がゲーム好きだったので、自分も好きになりました」と話すのを聞いたりすると、時代が変わったことを実感します。

うちの親はゲームをやっていたわけではありませんでしたが、僕がゲームをやることに対して何も言いませんでした。今、思うと、あの時代にゲームが好きな子どもを認めてくれた親は、とても理解があったと思います。

就職氷河期でも活気があったゲーム業界

就職活動時はスムーズにゲーム業界に入れたのでしょうか?

ゲームは変わらず好きで、やはりゲーム業界に入りたいという気持ちは持ち続けていました。大学は経済学部だったので、就職に役立つようにプログラムの勉強を少しやってはいたけれど、いざ活動してみるとアピールできるものがないことを痛感しました。

だからゲームの開発だけをやっている会社ではなく、総合的にゲームに関わっている会社で営業や広報などの職種を意識して就職活動をしていました。ゲーム業界だけでなく、広い意味でエンターテインメント業界、出版業界、さらにはそこに近い業界ということで印刷業界まで広げて説明会に行ったりしていましたね。

僕が就職活動をしたのは就職氷河期の初期で、特に採用が厳しかった時期の少し前です。それでもゲーム業界にはまだ活気があって、例えば世界初の通信カラオケ「X2000」を出したタイトーの会社説明会には大勢の学生が集まっていたのを覚えています。

最終的にゲームソフトやゲーム雑誌を作っているA社に採用されました。今でいうベンチャー企業で、当時は結構注目されていたんです。

実は高校生の頃からなんとなくですが、この会社にはいいイメージを持っていて「入りたいな」と。面接で「昔から好きだった」と一生懸命語ったことがよかったのか…採用された理由は分かりませんが、本当にうれしかったですね。

就活 面接シーン
写真はイメージです

ゲーム業界の就職活動。出身大学は影響する?

就職活動時、出身大学が影響することはありましたか?

いわゆる学歴フィルターのようなものはなかったと思います。僕の出身大学は全国的に名前を知られているような学校ではないので。

同期20名の中には筑波大学卒の人もいたりして、採用大学はかなりバラバラでした。それが会社の方針だったのか、当時のゲーム業界の多くがそうだったのかは分かりません。ただ、今、自分が勤務しているゲーム開発会社でも大学も指定していませんし、大学に限らず、専門学校からも採用しています。

現在はゲーム開発会社C社に勤務ということなので、新卒で入社したA社は辞めてしまったということですよね。

A社に入社後はゲームソフトの営業部門に配属されました。当時はパッケージソフトしかなかったですし、今のようにネットで買う人もほとんどいませんでした。ゲームソフトの小売店に置いてもらうことで販路を広げるわけですが、ゲームソフトを作るメーカーと小売店は直接取引をせず、問屋を通すのが一般的です。問屋に対して「新しいソフトが出ました」「こんなキャンペーンやります」と知らせる、販促営業が営業部門の主な仕事でした。ノルマなどはなかったですね。

そんなふうに憧れて入った会社でしたが、結果的には3年で退社してしまったんです。今、思うとたった3年で辞めてしまったのかと驚きますが、当時は長く感じていましたね。

やめた理由は会社の経営状況が厳しくなったことをはじめ、色々あります。好きで入ったゲーム業界でしたが、当時は中に入ったことで純粋に楽しめなくなったと感じていました。それで1回離れてみようかなと思ったことも大きいです。憧れが大き過ぎたのかもしれません。

一度、ゲーム業界から離れた時期も

今、ゲーム業界にいるということは、その後、また戻ろうと思うきっかけがあったのでしょうか。

A社を退社後は全く業種を変えて倉庫会社に転職しました。当時の倉庫業ですから、今とはかなり印象も違います。歴史ある会社で安定していたのですが、ビジネスのスピード感が遅くて自分には合いませんでした。

ゲーム業界ではそれこそ週単位でソフトが発売されて、働く人たちはそれに関連する業務に追われたり、売り上げに一喜一憂したりする毎日。離れてみて、ああいう変化のある毎日が楽しかったんだと気づかされたんです。やはりゲーム業界が好きだなと。

それで倉庫会社を退職し、アルバイトでゲーム雑誌のデザイン会社に営業アシスタントのような立場で入りました。

その後、ゲーム開発会社に半年だけ勤めた後、パソコンのゲームソフトをプロデュースするB社に入社しました。そこは規模が小さかったこともあり、営業だけでなく、広報、宣伝、プロジェクト管理なども任されて何でもやりました。小売店の前で販売したこともあります。

その会社で扱っているメインのソフトはパソコン向けのかなりマニアックなものでした。でも、家庭用ゲーム機のソフトを開発する計画もあり、A社でゲームソフトの流通を理解していた自分の知見が必要とされたのがうれしかったですね。

その会社では優秀な先輩から色々なことを教えてもらいましたし、営業の人も頑張っていて、小売店向けの展示会や商談会などにも積極的に出展していました。本当に色々な仕事をやりましたね。

社内打ち合わせ風景
写真はイメージです

「開発者以外」が会社に貢献するために

–20代でゲーム関連会社3社、倉庫会社と合計4社を経験現在の会社に入社したきっかけは?

B社で3年ぐらい勤めた頃、会社が参加していた東京ゲームショウで、A社で大変お世話になった先輩と6〜7年ぶりに再会したんです。その方はゲーム開発会社を立ち上げていて、同じA社でお世話になった別の先輩も一緒に働いているということでした。

その後、これまでの経験を評価していただき、その会社に誘っていただいたんです。それが現在勤務するC社です。

ちょうどPlayStation 2、Xbox、ゲームキューブなどを中心に、ハード、ソフトの市場規模も拡大していた時期でした。C社はそれらのハード向けの有力タイトルを開発しており、自分もその一員になれればという思いがあり、入社を決めました。

C社も人が増えてきた時期で、僕はアシスタントプロデューサーとして入社しました。

その後、開発ができるわけではない自分が、社内で貢献していくにはどうしたらいいのかをと考えるようになった時期がありました。

そこで、あるタイミングで働く人の管理や経理など、要は総務人事のような立場の仕事を覚えたいと手を挙げました。当時、まだ働き方改革などは言われていない時代でしたが、社員が健康で長く働き続けるための制度づくりに貢献できたという自負はあります。

入社から20年以上が経ち、今はまたアシスタントプロデューサーのような立場に戻り、開発に近いところにいます。

ゲーム画面とコントトーラー
写真はイメージです

第2回に続く

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