
日本ギャップイヤー協会会長
(ギャップイヤー協会イベントにて撮影)
- 2020年、【肩書きがない時間を通して、人生を___する】をテーマに掲げる「日本ギャップイヤー協会」を設立。ギャップイヤーを切り口に、「多様な選択肢を広める・ギャップイヤー経験者を支える」活動を行っている。
- 静岡県出身。高校卒業後、コロナ禍のために予定していたマレーシア留学に行けなくなり、ギャップイヤーを知る。
- 高校卒業後、ギャップイヤーを取り、フォルケホイスコーレ、ホームステイボランティア、日本語パートナーズ、米国三越CRプログラムなどを利用。デンマーク、イタリア、マレーシア、アメリカで「語学学校に通う留学とは異なる海外経験」を積んでいる。
孤独を感じている人の居場所は作れた
–マレーシア留学に行けなくなった時期にギャップイヤーを知ったとおっしゃっていましたが、日本ギャップイヤー協会を立ち上げたきっかけは?
ギャップイヤー経験者でもある渋川駿伍さん(株式会社Kakedas 代表取締役会長)との出会いが大きいです。
リアルなイベントが開催できなかったコロナ禍、学生同士がつながれるオンラインのイベントやセミナーが多数開催されていました。マレーシア留学ができなくなってステイホームしていた時期だったので、私も色々と参加していたんです。
その1つが就職せずに起業をめざすイノベーターのための私塾「MAKERS UNIVERSITY」のオンラインイベントです。そのイベントに卒業生として参加していたのが駿伍さんでした。実はイベント前、ギャップイヤーのことを調べていた時に、ネットで駿伍さんの記事を読んでいました。まさかイベントでお会いできるとは思わず、「ギャップイヤーに興味を持っているんです」と自己紹介をしたんです。
その後、DMで「日本でもギャップイヤーが広まったらいいな、と思っています。何か機会があればぜひ協力させてください」という感じで挨拶したところ、「zoomでちょっと1回話しませんか?」と言ってくださって。そこで協会を作ることを提案していただいたんです。
2020年 12月に駿伍さんの協力を得て活動を始めました。知り合いのギャップイヤー経験者の方を紹介していただいたり、私も「ギャップイヤー」で検索して見つけた人にメッセージを送ったりして、オンラインで意見交流の場を作りました。
私同様、コロナ禍で留学できなくなって何にも属していない状態、つまりギャップイヤーを取っている状態になっている人が多かったことから、イベントの登壇者や参加者集めはしやすかったです。
–活動を始めて5年目ですが、今はどんな状況ですか?
現在、運営メンバーは5人。1人は高校の時の友達で、他はみんなイベントへの参加がきっかけで出会った人ばかりです。中にはギャップイヤーという言葉を知らなかったけれど、「今、自分がやっていることがギャップイヤーを取っているということなんだ、と気づいた」という人もいます。
運営メンバーの多くが海外にいるので、活動はオンラインがメインになっています。今は毎月7日にオンラインの「お話会」開催が活動の中心で、毎月の参加者数は月によって差があるものの、ラインオープンチャットの参加者数は75人にまで増えました。ゼロから始めたことを考えると、大きな成長です。
大学を休学している人やギャップイヤーに興味はあるけれど周りに話せる友達がいない人など、孤独を感じている人の居場所は作れている、という自負はあります。
昨年5月に初めてのリアルイベントも開催して、たくさんの方に参加していただくことができました。立ち上げから続けてきて、大きな節目になりました。

ギャップイヤー中の人などが参加した(本人提供)
「やりたいことが分からない」という声は多いです
–私も昨年のリアルイベントに参加させていただいたのですが、企業の協賛もありましたね。協賛企業探しなどもすべて自分たちでやったのですか?
そうなんです。色々な会社にメールを送って。協賛してくださった太平洋マテリアル株式会社さんは、運営メンバーとのつながりで紹介していただきました。ご担当者のお子さんもギャップイヤー中ということで、活動に共感してくださったんです。
開催まで本当に大変でしたが、やってよかったです。当日はイベント終了後もみんな残ってくれて、話が尽きない感じでした。
–確かに皆さん、話したいことがたくさんある感じでしたね。
学校だとギャップイヤーや大学進学以外の選択肢について話せる人がいないという声は多いです。住んでいる場所に関係なく参加してもらえるオンラインイベントも大切にしていきたいですが、様々なつながりが生まれるのはリアルイベントならではだと感じました。
–私も当日、高校生の参加者数人にお話を伺ったんですが、進路に迷っている人、悩んでいる人が多いことに驚きました。いわゆる進学校に通っているけれど、そのまま大学に行くことに迷いがあるというお話も聞きましたし、大学に行かないことを親に反対されているという人も何人かいました。
高校卒業後の進路に迷っているとか、大学に行くつもりではあるけれど、やりたいことがわからないという悩みは多いです。大学生からは、大学が合わなくて休学するべきか迷っている、海外に行きたいけれど休学を反対されている、就活で悩んでいるという声も聞きます。
そういう人たちに、ギャップイヤーを取ることで一度、立ち止まって考えてみる選択肢もあることを示していきたいですね。
–50代の私からすると、一度、立ち止まってみる時間はすごく大切だと思います。一方で私も子どもがいるので、大学を休学するということに対して、学費や就職の面ですぐに賛成できない親御さんの気持ちも分かります。
確かに大学を4年で卒業することにこだわってしまうと難しいですよね。今はギャップイヤーという選択肢があることや、そのメリットが認知されていないこともあって、受け入れてもらうのは難しいのだと思います。協会としてアプローチを変えていかなければとも考えています。

あの時、大学に落ちて本当によかったです
–友里佳さん自身、高校生の時は進路についてどんなふうに考えていたのでしょう?
私が通っていたのは大学附属の私立高校でした。初めは大学も県内で外国語学部もあるし、そのまま内部進学すればいいかな、と軽い気持ちで考えていました。
でも、1年生から3年生まで担任だった先生が「友里佳は県外の大学も含め、もっといろいろな人と関われる所を目指したほうがいい」と勧めてくれたんです。それで、国際系の学部がある県外の大学を公募推薦で受験しました。ただ、正直なところ、考え抜いたとは言い難かったです。学力も高くなかったので、自分の学力で入れて留学ができる所なら、という安易な選び方でした。
当時、すでに「大学に行く意味ってあるのかな」という気持ちが芽生え始めていたものの、小論文などの対策はしっかりやって試験に臨みました。
今思うと何かに導かれたのかな?と思うのですが、推薦入試の面接で「大学に通う意味はなんですか?」と聞かれて、うまく答えられなかったんです。結果は不合格でした。
もし受かっていたら、今、大学生をやっているはずなので、ギャップイヤーやフォルケホイスコーレに出会うことはありませんでした。あの時、落ちて本当によかったです!
–そこから大学進学ではなく、マレーシア留学する予定だったのですよね?どのような経緯があったのですか?
普通は推薦入試がうまくいかなかったら一般受験を目指しますよね。でも一般受験のための勉強が疎かになっていたので、滑り止めまで考えると相当レベルを落とさなきゃいけない。親からは何校も受ける受験料は出せないとも言われていました。
そんな時、家族の誰かが「マレーシアの大学に行くのがいいんじゃない?」と言い出して。父がマレーシア人で、小学校 5年生から中学2年生まで家族で住んでいたこともあり、わが家にとっては身近な国なんです。海外留学というよりも、県外の大学に行くぐらいの感覚でした。
他の国よりも留学費用も安いし、正直なところ、ちょっと逃げのような気持ちもあって、マレーシア留学に決めてしまったというわけです。
※肩書き、所属先などはすべて取材時のものです。
