学歴コンプレックスの本当の理由

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「このサイトを始めた理由」にも書いていますが、有名ではない短大卒の私はずっと学歴コンプレックスがありました。

短大内では自分たちの学校を卑下するような雰囲気はありませんでしたが、短大以外の場所で大学名をバカにされるという経験を何回かしました。

一番忘れられないのが、短大時代に入っていた色々な大学が集まるテニスサークルでの出来事です。

私の通っていた短大には四年生大学があり、在学中に不祥事がありました。ニュースなどで話題になっていた時、サークルのメイン大学である某国立大学の男の先輩が笑いながらこう言ったのです。「友達に◎◎大のこと話したらさあ、誰も大学知らないんだよ」。

あの時の悔しいような恥ずかしいような感覚は30年近く経った今でもよく覚えています。

また、バイト先でも短大名を言うと、「えっ、それどこにある大学?」と聞かれたりして、そんな経験の積み重ねで、学校名を言うのが恥ずかしいと思うようになっていきました。

社会人になってからは学校名を聞かれても、「地元の人しか知らない短大ですよ」みたいにごまかすことが多かったです。

思えばその短大は第一志望でなかったとはいえ、校風が気に入って選び、入学した時はとてもうれしかったのです。それなのに卒業校を誇れない自分が嫌でした。

サイトのインタビューでは、社会人になってから大学に通った方、学位を取った方のお話もありますが、私自身も大学を受け直そうと思ったことは何度かあります。

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でも仕事を続け、年もとるにつれ、ここで学歴を変えることよりも、仕事で経験を積むことで自信をつけようと考えるようになりました。

そう思うようになったのは、「コンプレックスの本当の理由」に気づいたことも大きいです。

ずいぶん長い間、いわゆる名の知れた学校に入れなかったことが理由なのだと思っていました。でも、本当は親が大学に行っていいと言ってくれて何の障害もなかったのに、本気で勉強に取り組まなかったこと、大学を受け直してまで頑張る勇気がなかったことへの後悔がコンプレックスにつながっているのだと、感じるようになったのです。

それに気づいてから何年も経って出会ったのが、ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)で毎日更新される糸井重里さんの言葉「今日のダーリン」です。

幸いなのか、不幸にもなのか、

ぼくは親に「勉強しろ」と言われないで育った。

(中略)

そのせいか、じぶんの子どもにも

 「勉強しろ」と言わなかったと思う。

そのせいか、勉強しないということが、 

だんだんと成績に表われるようになって、 

ぼくも、ぼくの子どもも、ちゃんとできない子になった。 

できない子になったことについては後悔してないのだが、 

なにか、大事なことから逃げてしまったような気が、

ずいぶんといい年になってから、しはじめた。 

学校の成績だけいい人、

 というのにはあんまり感心しないが、

学校の成績もよかった人は、ぼくにないものを持ってる。

そういうことを感じていた。 

なんだか、いまごろになってこんなことに気がついた。

ちゃんと勉強した人は、まず「勉強の目的」を知っていて 

さらに「勉強をどうやってするか」について、 

じぶんなりに考えたり試したりしてきたのではないか。

そういうことが、他のなにかをするときにも、

役に立っているのではないかと思ったのだ。

(中略)

これに気づいたら、いいことがわかったよ。

学校が、授業に「勉強」ってのを入れたらよかったんだ。

「勉強の愉しみ」「勉強のやり方」「勉強の目的」を、

 他の科目以上にしっかりと教えてくれたらいいんだよね。

 いまからでもやり直したいくらいの気持ちだよ。

(後略)

2016年3月14日掲載「今日のダーリン」より引用

これを読んだ時、引け目を感じていたのは相手の大学名ではなく、その人がしてきた「大学に入るための努力」だったとはっきり分かり、なんだかとてもスッキリしました。

また、「ビリギャル」などのストーリーにやけに魅かれるのも、ガムシャラに頑張って結果を出した人への憧れがあるからだと納得したのです。

私が学歴コンプレックスから得たものは、やり残して後悔しないように生きようと思えるようになったことです。このサイトを始めたこともその1つです。

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