【大学に行かない生き方1】ギャップイヤーを利用して海外経験を積む方法

ナヤー友里佳(なやー・ゆりか)さん
日本ギャップイヤー協会会長
(ギャップイヤー協会イベントにて。本人提供)
ナヤー友里佳さんってこんな人!
  • 2020年、【肩書きがない時間を通して、人生を___する】をテーマに掲げる「日本ギャップイヤー協会」を設立。ギャップイヤーを切り口に、「多様な選択肢を広める・ギャップイヤー経験者を支える」活動を行っている。
  • 静岡県出身。高校卒業後、コロナ禍のために予定していたマレーシア留学に行けなくなり、ギャップイヤーを知る。
  • 高校卒業後、ギャップイヤーを取り、フォルケホイスコーレ、ホームステイボランティア、日本語パートナーズ、米国三越CRプログラムなどを利用。デンマーク、イタリア、マレーシア、アメリカで「語学学校に通う留学とは異なる海外経験」を積んでいる。

デンマークで確信したギャップイヤーの必要性

–ギャップイヤーを広める活動をされています。友里佳さんが最初にギャップイヤーを知ったきっかけは?

2020年3月に高校を卒業して、秋からマレーシアに留学するつもりで準備をしていましたが、コロナで行けなくなってしまったんです。

ステイホーム中、時間がたくさんあったので、ネットで色々なことを調べていました。その時にギャップイヤーやデンマークの「フォルケホイスコーレ」の存在を知ったんです。

ギャップイヤーとは?
大学入学前や在学中、または卒業後に就職するまでの期間を利用して、学業から離れ、肩書を持たずに様々な体験を行う期間。肩書を離れて“自分の人生を見つめる時間”として、いつ、どんな形で過ごすかは人それぞれ。
フォルケホイスコーレとは?
1844年に開校した北欧独自の成人教育機関。全寮制で、試験や成績が一切なく、民主主義的思考を育てる場、
の欲求を満たす場とされている。現在、発祥のデンマークを中心に、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどで70校前後が展開されている。

家で英語の勉強をするだけの毎日だったので、ギャップイヤーやフォルケホイスコーレの存在を知ってすごく背中を押されたんです。

フォルケホイスコーレは直感で「行ってみたい!」と思いました。18歳から参加できること、他の国からの参加者も18歳が多いことを知り、「行くなら今だな」と。

当時の私は1人で海外に行ったこともなく、英語力もあまり高くない状態でしたが、不安よりは面白そうという気持ちのほうが大きかったです。「フォルケホイスコーレに惚れてしまった」という表現が一番近いと思います。

実際、フォルケホイスコーレにはTOEICスコアなども必要なく、期間も半年間なので、どうにかなるだろうという気持ちもありました。

–2020年というと日本ではコロナで色々なことがストップしましたが、まだ海外から入国できたのですね。

そうなんです。デンマークに到着したのは2020年12月30日でした。当初は2021年1月から始まるコースで学ぶ予定で、メンバーはデンマーク国内からの参加者とインターナショナル生(国外からの参加者)が半々だと聞いていました。

ところがデンマークの感染者が増えて授業開始が遅れることになって。そのため、最初の3カ月は私と同じように早く到着していたインターナショナル生や前のセメスター(学期)から通い続けている学生10人ぐらい、先生、スタッフと過ごしました。おかげで少人数での会話から始められたので、少しずつ英語が喋れるようになりました。

フォルケホイスコーレの教育プログラム「1day trip」で(本人提供)

「この年齢になったら〜をすべき」。自分の決めつけに気づいた

–フォケホイスコーレには、ギャップイヤーを取っている人もいたのでしょうか?

13カ国から集まった参加者のほとんどが20代で、30代は2人でした。ほぼ全員がギャップイヤーを取っていたと思います。大学を休学している人は日本人のひとりのみ、次に何かをするまでの間に来ている、という人が多かったです。

特に印象に残っているのが、フランスから参加していた30代前半の男性です。詳しくは分かりませんが、何カ月かかけてお金を貯めては何カ月かで各国をまわる、という生活を続けているようでした。パートナー(彼女)は他の国にいるとも聞きました。

これが日本だったら、「なんで30代になって」とか「彼女と結婚しないの」と言われることもあると思うんです。このフランス人の方に出会ったことで、自分の中にも「この年齢になったら〜をすべき」という決めつけがあったことに気づかされました。

でも、何歳で何をしてもいいし、これだけさまざまな国の人がギャップイヤーを取っているということは、きっと日本でも必要だと確信したんです。

フォルケホイスコーレの教育プログラム「1day trip」で(本人提供)

–フォルケホイスコーレの後はどのような活動をしたのでしょうか。

半年間のセメスター修了後は、そこで知り合った友達の家に泊めてもらいながらデンマークとベルギー、フランス、オランダなどを旅行しました。

その後はWorkawayというサイトを利用して、イタリアでホームステイボランティア(ホストから部屋と食事を提供してもらう代わりに、ホストに依頼された仕事をこなす)を3週間やりました。

そんな感じで2020年12月〜翌年9月までは海外で過ごした後、地元の静岡に戻って1年ほど過ごしました。地元では子ども英会話教室の先生をやったり、菊川市市民協働センターのスタッフとして活動したりしていました。

すでにギャップイヤー協会の活動を始めていたので、市民協働センターにいたことで静岡のテレビや新聞に取材していただく機会にも恵まれ、とても有意義に過ごすことができたんです。

その後、アジアの中学校・高校などで日本語授業のサポートや日本文化の紹介を行う事業「日本語パートナーズ」の活動で、2023年の3月から11月までマレーシアに派遣されました。

マレーシア「日本語パートナーズ」の生徒たちと。
後列真ん中が友里佳さん(本人提供)

マレーシアでは日本語教師や13〜17歳の生徒のパートナーとして、日本語の授業のサポートを行っていました。特に印象に残っているのが、ソーラン節のチームを作って学校のイベントで披露したこと。指導は私1人で担当し、英語、日本語、一部マレー語を交えながら、振り付けを教えました。練習時間は合計すると10時間しかなかったのですが、本番は大成功でとても感動しました。

「ソーラン節」を教えて学校のイベントで発表(本人提供)

「お金がなくても海外に行ける」あきらめている人の背中を押したい

2023年11月に帰国した後は、河口湖でリゾートバイトを半年間しました。この時点で「米国三越CRプログラム」に合格し、2024年7月からフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートで勤務することが決まっていたからです。

リゾートに4つあるテーマパークの1つ「エプコット」内にある日本館に勤務して、世界中から訪れるゲストに日本文化を伝えるというミッションを担う国際交流プログラムです。

マレーシアにいた時に応募してオンラインで選考試験を受けたのですが、応募した理由は2つあります。1つは色々な国の人に日本語や日本の文化を伝えたいからです。これはマレーシアで日本語パートナーズに参加した理由も同じです。特に、英語で日本のおもてなしを伝えることは、英語圏に行ったことがない私にとって新たなチャレンジだと思いました。

2つ目は海外に行きたいけれど、語学学校はお金がかかるため、他の方法を探していたからです。様々なプログラムがある中で、高卒で応募できるものって少ないんです。ですが、人と違うやり方がきっとあると信じて、私が挑戦できるものの情報収集を常にしていました。

日本語パートナーズ、米国三越CRプログラムともに、選考をくぐり抜けて合格したので、自信にもつながりました。

お金がなくても海外に行けます。それを私自身が経験することで、諦めている人、迷っている人の背中も押せるはずだ、と思って挑戦しています。

米国三越CRプログラムの参加者と(本人提供)

※肩書き、所属先などはすべて取材時のものです。

▪️日本ギャップイヤー協会のInstagram

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